※2012~2013年に、日本平成村通信(岐阜県関市武儀地域のNPO法人日本平成村が発行する月刊情報誌)に掲載したものに少し加筆しています。
武儀地区の成り立ち
武儀地区は自然に恵まれた地域です。
武儀地区がなぜ山々に囲まれ、点々と平地が見られるのかは、大地のつくりに秘密があります。
その秘密を一緒にのぞいてみましょう。
美濃地方には「美濃帯堆積岩類」と呼ばれる岩石が広く分布しています。
武儀地区に分布する岩石もこの岩石で、岩石名で言うとチャート、砂岩、泥岩、石灰岩、玄武岩などです。約2億9千万年前~約1億3千万年前という大昔に海底に噴出したり、海底で堆積したりしたものが混ざり合った状態で現在分布しています。
武儀地区には砂粒が固まってできた砂岩が広く分布しています。
砂岩は、チャートという岩石と比べると削られやすいものが多く、
平地が広がる場所には砂岩が分布しているという特徴があります。
富之保地区
武儀地区を南から津保川沿いに県道63号線を走ると、富之保の粟野に入ったところで開け、
割合広い平地が広がっています。
富之保に幅が広い平地が広がっているのは、削られやすい砂岩が南北に(川の流れの方向に)
広く分布していることと、津保川と武儀倉川、水成川が合流し流量が増えている場所であることに
関わっています。
砂岩などが南北に広く分布しているのは、
ちょうど富之保辺りにほぼ東西方向に中之保背斜という軸があり、
緩やかな傾斜で上に凸型になった構造となっているためです。
下の図のように、富之保には削られやすい砂岩が地面に広く分布しています。
そこを津保川、武儀倉川、水成川などの水の流れが岩石を削って平地を作り出しているのです。
中之保地区
では、中之保はどのようになっているのでしょうか。
中之保で見られる平地は、中之保川とその支流が作り出したものです(小宮、柳瀬以外)。中之保川は北から南へ流れる津保川とは違って、ほぼ東から西に流れ、若栗で津保川に合流します。
武儀地区の美濃帯堆積岩類は、削られやすい砂岩と硬くて削られにくいチャートという岩石が、隣り合って東西に延びた状態で分布しているところが多いです。そのため、東西方向には同じ岩石が分布し、中之保川はほとんど砂岩の中を流れています。そのため、ほぼ連続的に平地が存在しています。ただし、多々羅と間吹の境辺りではやや平地が狭くなっており、山が近くなっています。そこには、前述した硬いチャートが分布します。そのため、他の場所と違って平地が狭いのです。
下之保地区
次に、下之保の大地を紹介します。下之保上野から南は、主に砂岩や泥岩(砂粒より細かい泥が堆積して固まった岩石)、それらが交互に重なってできた岩石(砂岩泥岩互層という)が分布します。これらの岩石は、砂岩と同様に削られやすいため、津保川の上野から南、西洞川、轡野川沿いは連続的に細長い平地を作りやすいのです。
一方、殿村より北は、砂岩とチャートがほぼ東西に分布し、それが隣り合っています。そこを横切って津保川が流れるため、砂岩が分布するところとチャートが分布するところで川が作り出した平地の幅が異なったり、現在の川の深さが違ったりします。
下之保において、上野より南と北で山の高さや平地の広がりが異なるのは地質の特徴が変わるからです。
削られやすさの異なる岩石が隣り合って分布するところを川が横断する場合、
平地が広がる場所とそうでない場所が交互に現れることがあります。
このような場所が祖父川沿いと、津保川の若栗と粟野の間で見られます。
小宮から祖父川沿いを北へ進むと、百々目木の北で急に谷幅が狭くなります。
しかし、もうしばらく進むと、また谷が開け、平地が現れてきます。
谷幅が狭いところにはチャートが分布しており、平地があるところには砂岩やほかの岩石(礫岩、玄武岩等)が分布しています。
チャートは硬くて削られにくく、ブロック状で落下したりくずれたりすることがあるため、
崖を形成しやすいのです。
一方、砂岩やほかの岩石はチャートと比べると削られやすく、なだらかな面をつくることが多く、
そこに削られた堆積物がたまると平地が形成されます。
このように、分布する岩石の違いによって、平地が広がる場所とそうではない場所ができるのです。
今までチャートという岩石名を何回か使ってきましたが、
岐阜県美濃地方ではどこでも見られるただの石といった方がわかるかもしれません。
数千年前には矢じりの石として、歴史時代には火打石として使われた硬い岩石です。
陸から砂や泥がとどかないような深海に、ガラス質の殻をもった生き物(放散虫など)の遺骸がゆっくり堆積し、それが固まった岩石なのです。
深海底で堆積したものが海洋底の移動によって、日本列島にくっついたため、
現在陸上に分布しています。
日本列島にくっつくとき、かなり変形してしまいます。
そのため、日本列島で見られるチャートはかなり変形していて、水平な地層には見えないのです。
岐阜県美濃地方に広がる美濃帯堆積岩類には、海底にたまった堆積岩だけでなく、火山噴出による溶岩などもあります。武儀地区には、断片的な分布ですが、祖父川の上流、水成川の上流、富之保岩の南の津保川沿いに玄武岩というマグマが冷え固まった岩石が見られます。
現在のハワイ島のような火山島が海洋底を移動し、日本列島にこわれながら他の堆積物と一緒にくっついたものです。火山島などを作るマグマは玄武岩質マグマと呼ばれ、粘り気が少ないことを特徴とします。黒っぽい鉱物が多く含まれるため、冷え固まった玄武岩は一般的には黒っぽい岩石です。しかし、約2億9千万年~約1億3千万年前という大昔にできたものあるため、中に入っている鉱物が変質してしまい、緑色の鉱物に代わります。そのため、「緑色岩」とも呼ばれます。
美濃帯堆積岩類には、サンゴ礁のように暖かい海で生きていた生物の遺骸が堆積した石灰岩が含まれます。石灰岩も前回紹介した玄武岩のように断片的に分布します。
水成川の上流、水成と祖父川の間、多々羅の一部、温井の一部に見られます。
温井地区等には昭和40年代中頃まで石灰を掘っていた跡がありますが、
いずれも石灰岩体の規模としては小規模なものです。
石灰岩はサンゴ礁での生物の遺骸が堆積したものなので、
石灰質の殻をもった生き物(フズリナ、サンゴ等)が化石として含まれることが多いです。
2億年以上も前に暖かい海で発達したサンゴ礁が、海底が少しずつ動くために移動し、
それが日本列島にくっついたものを見ているのです。
石灰岩の中に結構多く含まれているフズリナという生き物は古くから研究されており、
いつごろに栄えたものかもわかっています。
それからすると、石灰岩に含まれる化石は古生代の終わり頃(ペルム紀)のものであることが分かっています。
砂岩は砂粒が集まってそれが固まった岩石ですが、礫岩は砂粒より大きな礫(2㎜以上の粒、一般的には石ころのこと)が集まって固まった岩石です。中に石がたくさん入った岩石です。この周辺で知られている(地質の中では有名)のが、上之保の和田野で見られる礫岩です。その一部が、祖父川の八滝ウッディーランドの周辺、水成川沿いから武儀倉川にかけて、武儀東小(現在の武儀小)の裏山の一部、生涯学習センター近くの津保川沿い等で見られます。祖父川沿いの礫岩(離れて見たところ)
礫岩の礫は数㎝~人頭大程度のやや丸みを帯びたものから角ばったものまであります。含まれている礫は、砂岩・泥岩・チャート・玄武岩(緑色岩)・石灰岩などです。玄武岩と石灰岩からできている海山が崩壊し、それに伴って生じた海底地滑りによってできたものであると考えられています。
美濃帯堆積岩類の砂岩、泥岩は、どこに堆積したものでしょうか。海の中で砂や泥が堆積するというのは、陸地に近い場所です。
石灰岩やチャート等のように陸から離れた海で堆積したものとは異なり、
それらが海洋底と一緒に移動し日本列島に近づいたところで、砂や泥が堆積し、
それが日本列島にくっついたのです。
下之保上野より下流の津保川沿いには砂岩や砂岩と泥岩がサンドイッチ状に繰り返し積み重なっている砂岩泥岩互層が分布しています。
砂と泥が同時に水中に運ばれると、砂のように粒の大きいものが先に沈み、
泥のような小さい粒がゆっくりと沈みます。
その結果、下の方に砂の層が、上の方に泥の層が堆積します。
このような砂と泥が何回も繰り返して斜面を流れて海底に堆積すると、
砂岩泥岩互層のような地層が堆積するのです。
日本の各地に砂岩泥岩互層は見られますが、有名な地層は宮崎県青島の「鬼の洗濯板」です。
清兵衛淵は、下之保大門に見られる淵です。
周辺の津保川と比べると、この場所だけが急に深く掘り込まれています。
清兵衛淵の東側には高い山がそびえており、それが東の方へつながり524mの権現山に続いています。それらの山はチャートでできており、周囲と比べて高くなっています。
大門を南から北へ津保川沿いに進むと、大型スーパーの近くは砂岩が分布し、
清兵衛淵の辺りにはチャートが分布します。そして、清兵衛淵の北には砂岩が分布します。
チャートは砂岩と比べると削られにくいですが、いったん削られるとどんどん深く穴をあけ、
硬いためその深い穴が保存されるという特徴をもちます。
加茂郡七宗町の飛騨川沿いには国の天然記念物である甌穴群が見られます。
河岸にチャートが分布し、表面の割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による浸食のためにくぼみとなります。
このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた深い穴に拡大したのです。
お宮の清水は、温井にありますが、以前書いたように温井には石灰岩の岩体が見られます。
石灰岩は酸性の水(地下水)によって溶かされます。
それによって洞窟がつくられ、水の中に溶け込んだ炭酸カルシウムが再び沈着し、
鍾乳石を成長させたものが、鍾乳洞です。
鍾乳洞が見られなくても、雨水(降雨)が地下に浸透し地下水となり、
石灰岩を溶かしながら通り道をつくります。
その通り道が地表まで届いたときに、湧水が見られるわけです。
お宮の清水も石灰岩の中を通ってきた地下水が地表に出てきたものと考えられます。
石灰岩の中を通ってきた水は、カルシウムやマグネシウムが溶け込んでいます。
飲料水は、溶けているカルシウムとマグネシウムの量によって、「軟水」と「硬水」に分けられます。
カルシウムとマグネシウムが比較的多く含まれる水が「硬水」になります。
日龍峰寺
日龍峰寺は高沢山(434m)の中腹に建ち、本堂が崖にへばり付くように建てられた舞台造りの建物です。
高沢山はほとんどが砂岩や泥岩でできているため、割合なだらかな山です。しかし、中腹から山頂にかけて部分的にチャートが分布しています。そのため、中腹から山頂にかけてはやや険しくなっています。
多良木から日龍峰寺に向かう道は谷沿いを通っていますが、砂岩や泥岩でできており、
割合ゆるやかです。
駐車場に着き、そこから北を見ると岩が出ていますが、それは泥岩です。
鐘楼、薬師堂、多宝塔に向かう道に沿っても泥岩や細かい砂岩が分布しています。
本堂に向って右や後ろは急に険しく崖になっています。
それは砂岩や泥岩の間に挟まれるチャートが分布するためです。
以前にも書きましたが、チャートと砂岩・泥岩の削られやすさの違いが、
高さや険しさの違いとして現れます。写真は本堂の後ろの崖ですが、この岩石はチャートです。
満願寺
富之保の満願寺の北に「法の池」と呼ばれる池があります。
よく池を見ると、透き通ったきれいな水であることが分かります。
なぜこのような場所に池があるのでしょうか。
谷川の水が流れの速い急斜面から、流れが遅い緩斜面にかかると、
上流から水と一緒に流れてきた砂などが堆積します。
そのようにできた地形は、上空から見ると扇形であることが多いため、扇状地と呼ばれます。
満願寺がある富之保大洞一帯は砂岩でできており、割合削られやすいため、
山地から緩斜面となったところに扇状地をつくりやすいのです。
扇状地は上流の岩石が削られ砂などになったものが堆積しているため、
谷を流れる水は伏流水となって地下を流れます。
そして伏流水が地表に現れた時、それが湧水となります。
ふつう扇状地の末端部で湧水が現れます。
法の池をはじめ近くに見られる池は、その湧水がたまったものだと思われます。
下之保轡野の奥を「乙女滝」の看板を頼りに進むと、乙女滝が目に入ってきます。
周辺はチャート層よりできており、チャートにかかる滝です。
滝は、河川の一部が段差になっているため、水が落下している場所をさします。
チャートは、海底に堆積したガラス質の殻をもった微生物(放散虫など)の遺骸が固結したものです。
硬いですがややもろくて直方体のような形に割れやすいという特徴をもち、段差をつくりやすいのです。また、硬くて削られにくいため、その段差が削られにくいのです。
そのため、チャートでできている山には、急傾斜をなす崖が見られることが多いです。
そのような崖が水流の通り道になると、滝となります。
乙女滝の北西方向に権現滝も見られますが、同じくチャートでできています。
乙女滝をよく見ると、崖は急傾斜ですが垂直ではないため、水流によって削られたハーフパイプ状の面が見られます。
美濃市との境に見坂峠がありますが、そこに「高澤古道」という案内板が見られます。
案内板の矢印に沿って進むと、日龍峰寺に通じます。
はじめ少しきつい坂を上がると、あとは尾根道が続きます。
古道沿いには、チャートや砂岩、泥岩が分布しています。
実はチャートや砂岩、泥岩がごちゃごちゃに混ざっているのです。
チャートは、大陸(陸地)から離れた泥も混じらないような深海に堆積したものです。
砂岩、泥岩は、大陸近くの海で、陸地から河川等で運ばれた砂や泥が堆積したものです。
つまり、まったく異なる場所で堆積したものが、混ざり合っているのです。
それは、大陸から離れて堆積したチャートと、大陸の近くで堆積した砂岩や泥岩が海洋底のプレートに運ばれ、陸地にくっつくときに、ブルドーザーで運ばれたように混ざり込んでしまうからなのです。
日龍峯寺まで250mほどの右手に大きな岩塊が見られますが、それはチャートです。
よく見ると、青淡灰色~青灰色の2~3㎝の幅をもったチャートの層が重なっているのがわかります。