関ヶ原町は、北側の伊吹山地と南側の鈴鹿山地の間を東西方向に延びる低地にあります。古来から交通の要所として、また天下分け目の戦場となったことはよく知られています。
この地域は、伊勢湾から北西に延びて日本海側の敦賀湾へ達する断層帯(柳ヶ瀬~養老断層系)によってつくられた地帯です。この断層帯の中央部に関ヶ原断層は位置します。
関ヶ原断層は、調査によると第四紀前期以後に活動した断層であることは確認でき、第四紀後期の少なくとも17,000年前より新しい時代には活動していないことがわかったようです。
露頭の紹介
断層の露頭を紹介します。断層が直接見られるわけではありませんが、川の屈曲により、断層を感じることができます。
関ヶ原バイパス「瑞竜」の交差点を北進し、50mほどを東へ曲がり(右折)、150mほどのところ(小さな橋を渡ってすぐのところ)に2本北へ進む道があります。その山へ上がる方向の道(2本目の道)を160mほど北進し、西を見ると川(大栗毛川)が屈曲しているのが見られます(下の写真)。
川の屈曲
横ずれ断層が繰り返して活動すると、はじめは真直ぐだった谷川の流路が断層を境に少しずつずれていきます。その結果、川が何10m~何kmも屈曲することがあります。
そのため、屈曲が隣り合う何本かの谷で見られ、かつ屈曲部分が一直線に並べば、そこを活断層が通っていると推定できます。
また、活断層は何回もずれ動くため、断層沿いの硬い岩石は引きちぎられたり、こすり合ったりして破砕されます。ここでは、大栗毛川の流路が横ずれ断層によって約200m屈曲しているのがわかります。また、川の右岸には基盤の美濃帯堆積岩類が露出し、破砕されている様子が観察できます。
下の写真は、断層の露頭に近づいて北から撮ったもので、美濃帯堆積岩類が破砕されています。
下の写真は、より近づいて撮ったもので、写真の縦は15cmです。