紀伊半島の熊野地方を中心に、新第三紀中新世の約1400万年前にカルデラ火山活動で生じた火山性の岩石が分布します。
熊野酸性火成岩類(熊野酸性岩類)と呼ばれており、流紋岩質の火砕流堆積物(凝灰岩)、溶岩、貫入岩で構成されます。
有名なものとして鬼ヶ城や獅子岩があります。鬼ヶ城は2004年7月7日「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録されました。
鬼ヶ城
鬼ヶ城や獅子岩は凝灰岩からできています。風化と波による侵食が働いて、平坦地と大小の多くの空洞(タフォニと呼びます)をつくり出し、独特の景観を形成しています。
タフォニとは岩盤や岩塊の表面に形成される風化の穴で、平面形は円または楕円形ですが、それが拡大し連結すると複雑な形状となります。海水の飛沫を受けやすい海岸地域などで広く知られています。
鬼ヶ城は、伊勢志摩から始まるリアス式海岸の南端に位置し熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く凝灰岩の大岸壁です。
高さ2~4mの崖は階段上になっており、数回にわたる急激な地盤の隆起のあとが見られます。波蝕洞の入口はどれも鷹のクチバシように先端が尖り、天井部分には蜂の巣状の風蝕跡が見られ床面は板のように平らかな棚となっています。
中でも東口にある千畳敷(せんじょうじき)は上下2段の大きな岩窟で、鬼ヶ城いちばんの見所です。
古くは「鬼岩屋(おにのいわや)」と呼ばれていました。大規模地震が起きるたびに隆起したという大洞窟は、上下段に分かれており、高さは約15m、広さは約1500㎡という鬼ヶ城域内で随一の威容を誇ります。
鬼ヶ城伝説によると、この千畳敷は征夷大将軍として知られる坂上田村麻呂(751~811)に討ち取られた海賊・多娥丸の住み家であったと言われています。
https://onigajyo.jp/densetsu/densetsu_index.html
写真は平坦地である千畳敷を下から撮ったものです。
下の写真は獅子岩を撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸や黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。
前回は鳥取砂丘を紹介しています。