濃飛流紋岩の大部分は、径数10kmの陥没盆地の中に大規模な火砕流によって厚く堆積したものであるため、火山灰や軽石などが自分の重さや保持された熱によって、互いに密着してくっついてできた溶結凝灰岩からなっています。
研究によると、濃飛流紋岩は、中生代の白亜紀後期に6つの時期にわたって活動したと考えられています。1つの活動期には、最初に陥没性の凹地ができ、そこに火山性の砂や泥、凝灰岩など砕屑岩層が堆積し、引き続いてより巨大な陥没盆地の形成とともに激しい火砕流の活動によって、大量の溶結凝灰岩層が形成されました。
ここで見られる岩石は、活動期の最初に形成された火山性の砕屑岩層で、阿寺層と名付けられています。主に凹地の周囲にあった火山岩類が削られて運ばれたものからなり、一部に小規模な火山活動により供給された噴出物も含まれています。
この河床露頭及び近辺の露頭では、周囲にあった火山岩類を構成していた石英や長石類などの結晶片が主に堆積した結晶凝灰岩が見られます。ただし、結晶凝灰岩と溶結凝灰岩との判別はかなり難しく、溶結しているかどうか、水域で堆積する際に形成される堆積構造を示すかどうかによって専門的に判別されています。写真は、左岸河床露頭の結晶凝灰岩を接写したもので、写真の縦は3.5cmです。
下の写真は東白川小西口バス停の300mほど南から東へ入る道路(山の方へ上がる道路)沿いの東露頭を北西からパノラマで撮ったものです。同じく結晶凝灰岩の露頭です。